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古武術 やわらかやわらなブログ 律芯館須磨支部、唐手、古流柔術やわらか稽古会

神戸武術研究所律芯館の須磨支部です 律芯館指導員有志による 古流柔術、唐手を実際に使える事をテーマとした 研究会です。 唐手、古流柔術型、基本を学び、その型、基本から身体運用、技を学び、それ等の応用技術、技を実際に自由に掛けれる事を目指します

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武術は道足りうるか
ある整体の先生と武道の道という事について話し合う事があったのですが、その時が思い出した今の律芯館の先生の師が言ってた話

自分がやってるのは武術か武道か?今やっているのは武術で長い年月振り返って道になってたかが分かる。その時始めて道に至り。武道になる。確かそんなニュアンスの話だったかと思います

武術と言うのはそれが昇華されたものであれ暴力には違いなく歴史的な経緯とはまた別な話で武道と名乗る事を社会的な落とし所としてる部分は現在ではあるんだろうと思います。

また社会に対して武道と名乗る事で社会的な規範として自分を律する気持ちも出てくるでしょう

只それは私としてはそれと個人的な武道の探求とはまた別の話だと考えてます。

武道と名乗れば武道となる訳ではあるません
残念なことですが武道家を名乗る人間が事件を起こす事だって希にはある訳で

先に書いたように昇華されたものであれ暴力である武術に引き寄せられた自身の何らかの欠落が技術の向上とともに哲学として昇華していつか武道を名乗れれば良い。
それを願いながら今私は稽古しています。

そして同じようにそう願う人達と武術を杖にして
歩めていけたらこんなに嬉しい事はありません
この明石稽古会がそう言う場になれば良いな
それを目指していこう






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